修論執筆を振り返って
長谷 拓郎 (2015年3月) |
修士論文タイトル |
日本のニューカマー児童における言語教育のあり方についての研究 |
【どうしてこれに着目したのか】
本論文のテーマは「日本のニューカマー児童における言語教育のあり方についての研究」です。私がニューカマー児童、とりわけ外国人児童に焦点を置いた理由は、私が小学生の時に遡ります。
私が小学5年生の時、クラスに1人のパキスタン人が転校してきました。彼は日本語を全く話すことができず、文化においても日本人の子どもと全く異なっていました。
例を挙げると、決まった時間に祈祷を捧げるために他の教室に行くことや「ラマダン」という断食するしきたりがあり給食を全くとらない期間があること、
断食する期間が終了しても彼にでてくる給食の食材には豚や牛が除かれている特別なメニューが出されることなどです。
彼の文化に対する知識が全くない日本人の私達からすると彼は異様な存在として見られていました。
彼は、言語、文化の相違により周りの児童と上手くコミュニケーションを図ることや、授業においても日本語が理解できずに授業についていくことができないといった状況にありました。
結果、彼に対する差別、偏見がなされるようになり、いじめへと発展していきました。このように言語や文化が異なるということだけで、
学習や生活面に大きな支障をきたすということがあるようでした。
しかし、異なる文化に対する理解があればそのようにならなかったのではないかと考えるようになり、
このような論文テーマに至りました。
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【どんなことに苦労したのか】
論文を作成するうえで苦労したことは大きく2つあります。
1つ目は、論文をどのように構成していけばいいのかということです。2つ目は自分の想いを抑えるということです。
前者では、論文の執筆において何度も何度も文を書き、校正の作業を繰り返し、文章を作成する難しさを改めて実感しました。
後者では、私はよく自分の想いや熱意を書いてしまう傾向がありました。ゆえに自己満足な文章になってしまうということも多々あったように思えます。
論文を冷静な眼で見つめ、想いや熱意を抑えることの大切さを理解すると共に、その難しさも痛感しました。
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【執筆を終えて自分なりに満足していること】
論文執筆において苦労したこともありましたが満足していることもあります。
それは、大きくいうと自信がつくことができました。
それは論文をやり遂げたという自信と、
私が教師になった時、もし、学級に外国人児童が在籍していればこの研究を行った自分であれば適切な指導、支援を行うことができるという自信です。
その児童にとって大切な母語、母文化を尊重した授業、学級づくりを実施していきたいと思っています。
論文執筆は自分を大きく成長させてくれるものになりました。
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【後輩へのメッセージ】
後輩の皆さんには、どうか最後まで諦めずに論文を書き終えて欲しいと思っています。
途中、辛くしんどくなる時もあると思います。しかし、そのような時にでも書き進めていくと何か見えてくるものがあります。
書くこと、これがまず大切なことだと思います。
また、一人で悩まず先生や友人に相談してください。きっと道筋を指し示してくれると思います。
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