修論執筆を振り返って
小俣 直由樹 (2015年2月末) |
修士論文タイトル |
学習者の省察を促進するファシリテーションについての研究 −プロジェクトアドベンチャーを題材にして− |
【どうしてこれに着目したのか】
私は大学院入学前まで高校教員を25年続けてきました。
その間に教育全体、もしくは局所的に大きな変化が起こってきたことを実感します。
例えば、高校生の反社会的行動は25年前と比べて減少したと思います。
校内暴力の話題が少なくなりました。マスコミで取り上げられることも減りました。
しかし、高校卒業は当然という前提で言うならば、不登校や中途退学といった非社会的行動は増加しています。
私は高校生の反社会的・非社会的行動に取り組みましたが、その中で指導の上手な教員とそうでない教員がいることに気付きました。
同じ職場にいる指導の上手な教員の技術を真似、職場外で積極的に研修に参加し、種々の指導技術を学びました。
その中で、見出したファシリテーションという指導技術は、一見何も指導していないように見えて、
生徒はやる気を出し、課題に熱心に取り組み、一つの課題を達成した後にはあたかも生徒が一回り大きく成長しているようでした。]
これは明治以来続いている一方的な教授指導、一斉授業、全員に同様の指導をする原則と全く異なっていました。
ファシリテーションを利用した方法は、コミュニケーションの中で、生徒一人一人が関わり合いながら、
それぞれの目標を目指して、楽しく課題を解決していくものでした。
では、ファシリテーションを使って成功する者はどんな能力を持っているのかというと、
明治以来の指導方法をしっかりと身に付けていたのです。私はここに逆説的なことを感じました。
一見生徒に自由にやらせているように見える指導をするためには、旧来の技術が必要なのかもしれないと想像しました。
そこで、ファシリテーションの指南書に書いてある技術に疑いを持ち、
筆者達の気付いていない何かがファシリテーションには隠れているのではないか、それを発見することができないだろうか、と考えるようになりました。
これは自分自身にも向けられています。なぜ、自分の指導が上手くいくのだろうか、またいかないのだろうか、という疑問です。
中間先生からいただいた一言がとても大きかったのを思い出します。ある時、先生は「小俣さんは上手く行き過ぎていて、
よく分かってないんじゃない?」という内容のことをおっしゃいました。
つまり私は、無意識に生徒の指導をしてきた、ということだとそのとき思いました。
同時に、これが私の知りたいことだと思いました。なかば名人芸のようになっていて、
指南書には書いていないファシリテーションの真の技術を解明することで、
もしかすると、教員を始めとしてあらゆる指導に関わる人々に有効な方法を示すことができるのではないかと考えました。
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【どんなことに苦労したのか】
一つの実施例として、ファシリテーションはワークショップという学びの場で行われます。
ワークショップでの学習成果は、多種多様なので、評価することは難しいと分かっています。
またファシリテーションに対する評価方法も定まっているものではありません。
研究するに当たって、ファシリテーションと学習成果の評価方法を考える際に苦労しました。
また、研究を進めていくうちに、初期に想定していた構想と実際にやっていることがズレていってしまったことも困りました。
「一体、今、自分は、何の為に、何をやっているんだ?」という疑問が湧きました。
そして、「最初に考えていた通りで良いんだ」という自分と
「いや、間違っている。道を変えるべきだ」という自分がいて、頭の中で闘っていました。
これが明確になったのは、論文提出の直前でした。
中間先生はお見通しだったのだと思いますが、ずーっとそんな私の迷いに先生は付き合ってくださり、
最後の最後に「やはり、おかしいんじゃないか?」とご指摘いただいた次第です。
実地調査で、合計72時間に渡る11回のワークショップを観察し、その全てを文書化しました。
全て逐語というわけではありませんが、観察記録だけで28万字、その解釈に14万字の文字をワープロ打ちしました。
A4用紙で230頁の量です。これに費やした時間が膨大でした。人の行為を文書に記録するには大きな努力が必要でした。
最初から分かってはいましたが、大変な根気が必要でした。
観察はM2の4月から6月まで行い、その後、資料整理は大学の夏休み全てを使いました。
このこと自体は苦労ではありませんでしたが、視力低下と腰痛と不眠症、いわゆるVDT症候群に悩みました。
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【執筆を終えて自分なりに満足していること】
長く同じ職業を続けていると、大概は何でも上手にできるようになります。
そして、先輩面をして、後輩達に、したり顔でアドバイスをすることができるようになります。
しかし、それは自分が実践してきたことを具体的に伝授することに他なりません。
そういった実践を文書化することは、マメに記録を付け、まとめようと思えば、誰にでもできます。
私もそうやってきました。
そして、職場の同僚というものは、具体的な事例を伴うそんな話であっても仕事に役立ててくれます。
しかし、一歩下がって、そこにはどんな意味があるのか?と考察し、
そこで行われた方法とこれまで見出されていた理論とを結びつけ、
自分なりにではあっても、その本質を理解し、人に自信をもって伝えられる、
そういうことが一歩だけできたのではないか、と思います。
そして、私が見出したことを、聴きたい、体験したい、と思ってくれる人がいます。
もう既に、そのためのワークショップ開催の機会も戴いています。
一人でも多くの方に有効なファシリテーションの手法をお伝えできると思うと幸せな気持ちでいっぱいです。
同時に、まだ足りない、と思えることも喜びです。
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【後輩へのメッセージ】
論文を早く書き始めると良いと思います。私はM1の1月から書き始めました。
その頃に書いた部分が出来上がった論文にあまり残っていないかも知れません。
しかし、文字にすることで自分の考えが明確になります。
また、私の場合は、実地調査が必要な研究でしたので、M2の前期中に調査を終えて、
夏休みからは資料整理、そして10月からは論文を本格的に書く作業を始めました。
12月に提出した後は、すっかり完成した気分になりましたが、まだまだ不十分で、結局は口頭試問を経て、考察や総合考察をやり直し、
はたまた研究の目的まで訂正することになりました。
余力があれば、12月の提出後も推敲を重ねておくと良かったなあ、と今となっては思われます。
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