修論執筆を振り返って
冨田 幸子 (2016年3月) |
修士論文タイトル |
いじめ撲滅劇参加による中学生の変容 ― 短期的および長時間経過後の振り返から― |
【どうしてこれに着目したのか】
私は中学の教員として長年生徒会を担当してきました。
平成19年度より、私の所属するA市では生徒会が交流する「中学生サミット」という組織が立ちあがりました。
「中学生サミット」の中では「いじめ撲滅」「環境・広報」「笑顔・挨拶」といった中学生が共通の目標として
活動しやすいテーマを掲げて様々な取組を展開してきました。
平成20年度の第3回中学生サミットの中でいじめについて熱い討論会をした際、
いじめ撲滅のために演劇を上演しようという提起がなされ、
それ以来、現在(平成28年)まで上演継続しています。
私はその劇に初年度より深く関わってきたのですが、この上演を通して成長する生徒、
それぞれの学校に戻っても、その後も継続的に生徒会活動を意欲的に取り組む生徒の姿を見てきました。
中学校では集団での活動や行事が終わったあとに感動や達成観を味わう場は他にもあります。しかし、いじめ撲滅劇参加者には、そうした感情や成功体験を味わえたというより、その場限りでない長期にわたった大きな影響を残せているのではないか、いわば人生の転機とも言える場を生徒たちは経験したのではないかということを感じていました。参加した生徒に、いったい何が起こっているのかという点を明らかにしたいということで、「いじめ撲滅劇参加による中学生の変容」というテーマで取り組むことにしました。
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【怒涛の修士論文生活を振り返って】
教育コミュニケーションの先生方との話し合い後、中間先生のゼミに入れて頂くことになり、
2週間に1度のペースで、1対1でご指導をしていただくことになりました。
ですから、ゼミでは「今回は自分が何もできていません!」という状況は許されないので、
ひたすら課題をもち、少しでも前に進めるよう心がけました。しかし、長い研究論文を読んだり、
何ページもの文章を書くというのは、何十年も前の大学卒業以来やったことがありません。
本当に修士論文作成が自分にやりきれるのか不安だらけでした。
最初のうちは研究論文を読んでいても難しく、自分の研究との接点がなかなか見つからず、
方向が見えないままでした。
ところが、半年以上たったころからか、自分のテーマにそったキーワードから幾つか論文にあたっているうちに、
自分の問題意識をより深めてくれるような、自分自身が納得のいく論文にいくつかぶつかるようになってきました。
ゼミのご指導の中でも、中学生の変容を明らかにする方法として質的な方法をとることは、
1年目の比較的早い時期から示して頂いたので、ひたすらその関係の本も読んでいきました。
私は夜間の生徒でもありますので、
とにかく時間との闘いでした。ハーバーランドにある大学に行くJRの電車の中では、
ほぼ論文や本を読みながら通うスタイルをとるなど、自分自身の生活が一変するようになりました。
それでも、今、思い返しても、一年目はまだのんびりしていたと思います。
本当に時間を惜しんで頑張ったというのは、M2の夏休みを過ぎたころからだったでしょうか。
大学へ行った日でも、11時頃に帰ってからも、パソコンの前に座って文章を書くというふうに、
とにかくゴールから逆算しながら研究を進めました。
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【執筆を終えて自分なりに満足していること】
ゼミの中では、私の稚拙な論文に対して、中間先生に鋭い指摘をしていただきながらなんとか文章を書いていると、
そのうちに「段々論文らしくなっていってる」と、言っていただけるようになり、とても嬉しかったものです。
文章に自分の感情が入ってしまう点を、いつも中間先生に指摘されていましたが、
先生のご指導は的確で、より洗練された文章を書く上で、とても納得のいくものばかりでした。
よりよい論文を書くよう最後まで追求する姿勢で関わっていただき感謝しています。
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【後輩へのメッセージ】
論文を書く上で壁にぶち当たらない人はいないといえるほど、道のりは結構厳しいものだと思います。
でも、粘り強くいくつかの論文にあたっていると、参考になるものにもきっと巡り合える時がくると思います。
色んなものに興味を持って問題意識を深めることが、まずは必要なのだと思います。
もう1つ、私が気づいたことは、研究にはこれで終わりはないということです。
厳しくもあり、楽しいときもある、それが研究なのかと・・。
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